外山健太郎氏のGeek Heresy出版記念講演

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ICTDに関連する研究者である外山健太郎(Kentaro Toyama)氏(ミシガン大学のAssociate Professor)の著書「Geek Heresy: Rescuing Social Change from the Cult of Technology」の出版記念講演が2015/10/28にミシガン大学であった。外山氏は米国Microsoft Researchでの勤務やガーナでの教員経験後にMicrosoft Research Indiaの設立メンバーの一人として2004年からインドに駐在し、その後カリフォルニア大学バークレー校の研究職を経て今に至る。著書「Geek Heresy」についてはtomonaritが以前レビューしている。

講演の内容を簡単にまとめると以下のとおり。

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まず、ICT(情報通信技術)は貧困削減に貢献しているのか? というシンプルな問いを考える。アメリカの例を考えてみる。インターネットの導入後、Google, iPhone, Facebook, Twitterなど社会の仕組みそのものを変えうる技術が出てきている。実際にこれらの技術は人の生活を変えるインパクトを与えてきた。では、その貧困削減へのインパクトはどうだったのか?

実はアメリカの貧困率はここ45年程度は変わっていない。このことから、実はICTは貧困削減に貢献していないのではないか、という仮説が出てきた。技術が社会を大きく変えたことは間違いないが、技術で人を変えることはできない。

2004年にMicrosoft Research Indiaを設立するためにインドに行った。そこで見たICT活用事例の実態は、埃をかぶったPC、パーツを盗まれて動かなくなった供与機材、メンテナンスをすることができず放置されたPCなど、実際に期待されていた教育目的には使用されていないものが大半であった。

その反省もあり、PCからtext messageなどのシンプルな技術を活用するようにシフトすることなども行った。新しい技術を住民レベルに入れるには研修などが不可欠であり、なかなか持続的なものとはならない。

そこから出た結論は、技術自体はソーシャル・チェンジは起こせない、というものである。では技術は無意味か?それは違う。技術は人間に実力、そして意志のある活動をamplify(増幅)させるものである。

例えば、ある会社の活動を改善したいといった課題があるとする。解決方法として思いつくのは、リーダーを変える、技術力を高める、財務状況を改善する、などが思いつく。いずれも正解になりうる。それでは、この課題解決の方法として、iPadを支給する、データセンターを構築する、といったものはどうだろうか?それは解決にならない、というのは皆容易に想像がつくであろう。しかし、そのロジックに近い形で途上国のNPOや学校などにICTの供与が行われてきた例は非常に多い(そして今も続いている)。

次に、インターネットを例にあげる。例えば、インターネットという世界のどこからでもアクセスできる技術が民主化を進めたと言えるのであろうか?

まず、北朝鮮ではインターネットはあるものの、国外のサイトへのアクセスは難しく、孤立している。中国でも30万人が監視の仕事をしていて、ロシアでも似たような状況である。これらのことから言えるのは、(政府がその意思を持たない限り)インターネットが民主化を進める原動力にはならないということである。逆に民主化するという意思を政治が持っている場合は、それをamplifyしていくということは十分あり得る。(意思を持った国民が政治を変えることも可能)

コンピュータ科学の研究者としてこれまで関わってきたが、技術はガバナンスを改善しないし、民主化も進めない。不平等も改善しない。MOOCsなど教育を根本から変える技術が出てきたと話題になったが、主に恩恵を受けているのは貧困層ではなく大学を卒業したサラリーマンなどの上位層である。

私が信じるのはPositive human forceがある前提で技術を活用することである。ただし、ICTの世界は民間企業が引っ張っていることも忘れてはいけない。Facebook, googleなど、素晴らしい活動もしているは事実であるが、彼らの第一目的は利益であり、開発ではない。

エジプトの革命がFacebookがきっかけになったのは事実。でもそれが根本的な原因だったのか?その後シリアやリビアではネットを遮断したが、革命派は戦い続けた。逆にサウジアラビアやバーレーンでは抗議をFacebookなどで起こそうという活動があったが、市民社会が成熟しておらず、革命には導かなかった。やはり技術はamplifyしかできないと考える。では技術では不十分なら、どうやって革命を起こしていくのか。そこにはPositive human forceなど、意思を持った人たちが必要である。

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技術ありきでそれを開発に当てはめようとするとうまくいかない、そんな当たり前のことが世の中では日々起きすぎている。ということへの警告と理解しました。

また、ICTは民間主導と言いながらも、企業は長期的に顧客になりうる層を当然狙ってアプローチしてくるわけで、民間ではアクセスできない部分も必ず出てくるんだろうと思う。そういったところに対しては、Positive human fourceがある前提で国際機関や二国間援助機関、そしてNGOなどが技術を用いて住民の意思をamplifyすることが重要なのだと思う。

外山健太郎氏のGeek Heresy出版記念講演」への3件のフィードバック

  1. Yuji Ozaki

    興味深いお話、ありがとうございます。
    やはり、「意思を持った人たちが必要である」に行き着くのですね。

    「開発」を意味する「develop」には「事実などが表面化する」という意味もあるようです。
    個人経験レベルでは、ICTのamplify(Extendじゃないんですよね)機能が、様々な問題や課題のあぶり出し作用をもたらしている、と考えています。トヨタ生産方式における「負荷を与えることによって次の律速段階をあぶり出す」みたいな感覚です。
    頼んでもいないのにあぶり出された問題や課題が、法制度だったり組織制度だったり、個人やプロジェクト単位では手の届かないインフラや資金だったり、個人ベースのリテラシ・教養だったりと、技術そのものには関係ないうえ、組織の縦割りに阻まれていたり、解決に時間が激しくかかるものだったりと、なかなかに現場では絶望させられます。
    => 受託開発がブラック化しやすい一因でもあります。

    業務のUMLやBPMNを書いていると、どう考えても煩雑すぎたりデッドロックしている処理があったりします…それを見つけたところで「専門外の人間にが何を言ってるんだ?」「顧客にたてつくのか?」の壁が。道は遠いなぁ…。

    返信
  2. Kanot 投稿作成者

    ICTが課題をあぶり出す。面白い表現ですね。私もバングラデシュでICTを入れたら汚職が見えてしまったという経験があり、ozakiさんの表現はしっくりきます。
    発注する側から見ると、そのあぶり出されたものの難易度、原因、責任の所在というのが非常に見えにくく、どうしても役所対応に近くなってしまうこともありますよね・・・。途上国という特性上、曖昧な形で発注し、曖昧な形で受注せざるをえず、これは大きな課題ですね。

    返信
  3. ピンバック: m-Agriculture成功の鍵は、どれだけ人が介在出来るか? | ICT for Development.JP

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