ゲーミフィケーションの弊害

先日tomonaritが「ゲーム for Development」という興味深いテーマで投稿をしていたので、今回はあえてゲーム活用の問題点というテーマで書いてみたい。

教育などへのゲームデザインの活用はゲーミフィケーション(gamification)とも呼ばれ、注目されている分野の一つである。ゲーミフィケーションとは学習にインセンティブを与えることに非常に近く、ユーザ(生徒)にポイントなどの報酬を得ることによって、彼らの学習意欲を引き出そうというものである。この報酬はゲームによって様々で、ポイントなどのクラス限りで有効なものから金銭的な報酬、はたまた社会的な報酬など様々なインセンティブが考えられる。

tomonaritが紹介した世界銀行のEvokeなどは、ゲーミフィケーションの手法に加え、ユーザをワシントンに招待してアワードを授与するなどの金銭的報酬と社会的報酬を活用しているといえる。私のいる大学でも、ゲーミフィケーションを学部生向けの授業に取り入れるケースなどもあり、例えば、そのコースのゴールをボスを倒すためのポイント(ドラクエ風に言うなら経験値)を集めることとし、そのためのポイントを宿題やレポートを通じて集めるなどの手法も(試験的ではあるが)試されている。

確かにこのやり方で生徒の興味を引くことができて、宿題やレポートをこなすインセンティブにできるのであれば、教育手法の一つとして効果的とも言える。例えば、私自身もキーボードタイピングは「特打」というゲームで敵を倒すということを通じて楽しく学ぶことができたので、その効果は実感している。

ではゲームを通じた教育というのは万能なのだろうか?という点に焦点を当てた論文があるので紹介したいと思う。この論文は米国シラキュース大学のNicholson教授が書いたもので、タイトルは「A Recipe for Meaningful Gamification(有意義なゲーミフィケーションのための秘訣)」というものである。簡単にポイントだけまとめると、

人の学習モチベーションには2つの種類がある。一つは人間に本来備わっている学習意欲(内発的動機)、そしてもう一つは外部から与えられる学習意欲(外発的動機)である。このゲーミフィケーションによるインセンティブは明らかに外発的動機に該当する。

この外発的動機(インセンティブ)というのは短期的な学習効果にはよい結果をもたらすが、長期的な学習効果にはよい結果をもたらさない。むしろ長期的には悪い方向に働く可能性もある。大きな弊害としては、外発的動機が内発的動機を上書きしてしまうケースで、その場合は、人が本来持っていた内発的動機も失われてしまう。

例えば、英語を学習したいために英単語学習ゲームを始めたとしよう。最初は英語学習を目的にゲームをしていたものの、ゲーム内のポイントを稼ぐことが徐々に楽しくなってきた。その結果、何かしらの理由でポイントが失われた瞬間に、そのゲームを続ける意欲はもちろん、本来あった英語を学習するという意欲自体も失われてしまい、英語の学習が完全にストップしてしまった。といった例などがこれにあたると思われる。

つまり、ゲーム化などでインセンティブを与えることは短期的には学習意欲を引き出すのに効果的であるが、インセンティブを得れなくなった瞬間に、もともとあったはずの学習意欲もなくなるなど、長期的に見た場合に、学習が持続的でなくなってしまう懸念がある。なので、学ぶ目的が変わってしまわないようにインセンティブの与え方には注意しよう、というのがこの論文の提言である。

個人的にもこのポイントは的を得ていると感じる。ゲームに限らず、セミナーなどに参加してもらいたいがために過剰なインセンティブを与え続けると、参加の目的自体が変わってしまい、インセンティブを与え続けない限り参加してもらえなくなる、などはよくあるケースと思われる。

このようにゲーム活用の注意点は書いたものの、私はゲーミフィケーションによる意欲の刺激という点を否定するつもりは全くないので、ゲーム要素を使った開発効果の発言には興味もあるし、今後もこのテーマはフォローしていきたい。

(冒頭のImage画像はwww.forbes.comより転載)

Nicholson, S. (2015). A recipe for meaningful gamification. Gamification in education and business, 1-20.

ゲーミフィケーションの弊害」への4件のフィードバック

  1. tomonarit

    「ゲームに限らず、セミナーなどに参加してもらいたいがために過剰なインセンティブを与え続けると、参加の目的自体が変わってしまい、インセンティブを与え続けない限り参加してもらえなくなる」というのは納得感がありますね。援助機関の開発プロジェクト等で、裨益者や相手国政府関係者を集めてセミナーや会議をする際、日当や食事を出さないと参加者が集まらないという現実を目の当たりにしています。援助機関が途上国に持ち込んだ悪しき慣習だよね。正に外発的動機が内発的動機を長年かけて上書きした例と言えそう。

    返信
    1. Kanot 投稿作成者

      ほんとですよね。個人的には外発的動機(インセンティブ)が内発的動機(学びたい欲)を上回ってしまうというのはなんとなく感じてましたが、それが内発的動機を失わせる方向に行ってしまうという可能性もある、というのは「なるほど非常に面白い!」と感じました。

      返信
  2. Musashi

    ゲーミフィケーションのメリットばかり考えていたので、考えるきっかけになりました。

    仕事柄、内発的動機には関心あります。子供に報酬あり、なしでパズルをやらせる実験が有名ですよね。

    読んでいて、行動することの意味付けを自分自信で行う能力が開発できるといいのになぁ、と思いました。動機付けまで実は受け身というのは、ちょっと悲しいような。

    引き続きの記事楽しみにしています。

    返信
    1. Kanot 投稿作成者

      コメントありがとう。「行動することの意味づけを自分自身で行う能力」かぁ。確かに自分で選んだ選択と人から促された選択では納得感(内発的動機?)が全然違うよね。つまり、外から我々が関与はしつつも、なるべく本人が自分で行動の意味づけをしたようにナビゲートすることで、その行動に対する本人の納得力・説得力(内発的動機)が圧倒的に高まるということだね。まさにコーチングだな、ふむ、面白い。
      あと、言葉の定義ありがとう。内的・外的ではなく内発的・外発的と訳す方がよさそうだね。論文ではIntrinsic MotivationとExtrinsic Motivationという言葉で比較されてました。

      返信

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