カテゴリー別アーカイブ: Education

遊びでスマホを使うことの開発効果って??

みなさんデジタルデバイス(スマホ・タブレット等)は普段使ってますか?ほとんどの方は使ってますよね?

では、そのデバイスを勉強など自己研鑽や生活の質改善のために使ってますか?多分大半の方は何かしらそういった目的でも使ってます・・・・・よね?

では、その自己研鑽等に使ってる時間って使用時間のうち何パーセント程度でしょうか?

この回答はおそらくみなさんせいぜい10-20%程度、どんなに高くても50%程度ではないでしょうか?つまり、何が言いたいかというと、デジタルデバイスに費やしている時間のうち、半分以上は遊びなどの目的(ネットサーフィン、SNS情報発信、メッセージ、Youtubeなど)で使われているということです。

では、世の中の「携帯電話が途上国開発に貢献!」の類で取り上げられるテーマというのは何でしょうか?保健情報提供、送金サービス、学習アプリ、、、、等々。いずれも遊び目的以外のものについてです。

もちろんこういったテーマの効果を測ったりすることが大事ではあるのですが、50%を越える時間を費やしている「遊び目的」のデジタルデバイス使用が人間形成や開発に与える影響、ってこれまであまり考えられてきていないのでは??

こういった問題提起をした論文があります。オランダErasmus大学のArora氏とMicrosoft Research IndiaのRangaswamy氏の2013年の論文「Digital leisure for development: reframing new media practice in the global South」です。

内容はまさに上記の問題を指摘していて、デジタルデバイスが開発に与える影響って、真面目な使い方(教育・保健)などより遊び目的の使い方(Facebook, Youtube等)の方が圧倒的に費やす時間が多いため、実はこちらの方が大きいのではないか。なのに、その遊び目的の使い方は研究対象などにこれまでされてこなかった。もっと研究すべきだ。といった内容です。

個人的に「うーむ、確かに・・・」と考えさせられました。確かにこれまで見過ごされてきた視点ではという指摘はその通りと思います。デジタルデバイスの開発への影響という点では、特定アプリ・特定サービスの効果だけではなく、もっと広い視点を持たねば、と反省させられた論文でしたので、紹介させていただきました。

ゲーミフィケーションの弊害

先日tomonaritが「ゲーム for Development」という興味深いテーマで投稿をしていたので、今回はあえてゲーム活用の問題点というテーマで書いてみたい。

教育などへのゲームデザインの活用はゲーミフィケーション(gamification)とも呼ばれ、注目されている分野の一つである。ゲーミフィケーションとは学習にインセンティブを与えることに非常に近く、ユーザ(生徒)にポイントなどの報酬を得ることによって、彼らの学習意欲を引き出そうというものである。この報酬はゲームによって様々で、ポイントなどのクラス限りで有効なものから金銭的な報酬、はたまた社会的な報酬など様々なインセンティブが考えられる。

tomonaritが紹介した世界銀行のEvokeなどは、ゲーミフィケーションの手法に加え、ユーザをワシントンに招待してアワードを授与するなどの金銭的報酬と社会的報酬を活用しているといえる。私のいる大学でも、ゲーミフィケーションを学部生向けの授業に取り入れるケースなどもあり、例えば、そのコースのゴールをボスを倒すためのポイント(ドラクエ風に言うなら経験値)を集めることとし、そのためのポイントを宿題やレポートを通じて集めるなどの手法も(試験的ではあるが)試されている。

確かにこのやり方で生徒の興味を引くことができて、宿題やレポートをこなすインセンティブにできるのであれば、教育手法の一つとして効果的とも言える。例えば、私自身もキーボードタイピングは「特打」というゲームで敵を倒すということを通じて楽しく学ぶことができたので、その効果は実感している。

ではゲームを通じた教育というのは万能なのだろうか?という点に焦点を当てた論文があるので紹介したいと思う。この論文は米国シラキュース大学のNicholson教授が書いたもので、タイトルは「A Recipe for Meaningful Gamification(有意義なゲーミフィケーションのための秘訣)」というものである。簡単にポイントだけまとめると、

人の学習モチベーションには2つの種類がある。一つは人間に本来備わっている学習意欲(内発的動機)、そしてもう一つは外部から与えられる学習意欲(外発的動機)である。このゲーミフィケーションによるインセンティブは明らかに外発的動機に該当する。

この外発的動機(インセンティブ)というのは短期的な学習効果にはよい結果をもたらすが、長期的な学習効果にはよい結果をもたらさない。むしろ長期的には悪い方向に働く可能性もある。大きな弊害としては、外発的動機が内発的動機を上書きしてしまうケースで、その場合は、人が本来持っていた内発的動機も失われてしまう。

例えば、英語を学習したいために英単語学習ゲームを始めたとしよう。最初は英語学習を目的にゲームをしていたものの、ゲーム内のポイントを稼ぐことが徐々に楽しくなってきた。その結果、何かしらの理由でポイントが失われた瞬間に、そのゲームを続ける意欲はもちろん、本来あった英語を学習するという意欲自体も失われてしまい、英語の学習が完全にストップしてしまった。といった例などがこれにあたると思われる。

つまり、ゲーム化などでインセンティブを与えることは短期的には学習意欲を引き出すのに効果的であるが、インセンティブを得れなくなった瞬間に、もともとあったはずの学習意欲もなくなるなど、長期的に見た場合に、学習が持続的でなくなってしまう懸念がある。なので、学ぶ目的が変わってしまわないようにインセンティブの与え方には注意しよう、というのがこの論文の提言である。

個人的にもこのポイントは的を得ていると感じる。ゲームに限らず、セミナーなどに参加してもらいたいがために過剰なインセンティブを与え続けると、参加の目的自体が変わってしまい、インセンティブを与え続けない限り参加してもらえなくなる、などはよくあるケースと思われる。

このようにゲーム活用の注意点は書いたものの、私はゲーミフィケーションによる意欲の刺激という点を否定するつもりは全くないので、ゲーム要素を使った開発効果の発言には興味もあるし、今後もこのテーマはフォローしていきたい。

(冒頭のImage画像はwww.forbes.comより転載)

Nicholson, S. (2015). A recipe for meaningful gamification. Gamification in education and business, 1-20.

ベトナムのIT・日本語人材の高い市場価値

2016年8月に実に5年ぶりにベトナムのハノイを訪問したのだが、当時担当していたプロジェクトがどうなっているかを確かめるべく関係者・関係機関を私的に訪問した。そのプロジェクトというのは、「ハノイ工科大学ITSS教育能力強化プロジェクト(2006-2012)」というベトナム最高峰のハノイ工科大学と日本政府が共同で、IT教育と日本語教育を同時に行う学部を新設するというものである。

プロジェクト当時、この学部に入る学生にとって一番魅力的であったのは日本への留学であった。1学年120人程度のうち20人が(日本政府の資金で)日本に留学できるとあって、優秀な学生が集まっていた。その日本政府からの留学資金支援も終わって早2年以上、この事業はどうなっているのだろう?きちんと日本語・IT学部教育を継続できているのだろうか?こういった点を確認すべく、まずハノイ工科大学を訪れた。

まずプロジェクトのフロアに到着すると、生徒が作った日本語のポスターなどがあり、日本語教育が継続していることが確認できて、とても安心した。

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その後、プロジェクトのカウンターパートであった教授、担当者にも話を聞いてみた。彼らによると、現在もその学部教育は続いており、毎年120名程度が入学している。日本政府の支援で留学という目玉はなくなったものの、IT産業の活況(ベトナムのIT産業の最大の貿易相手は日本である)と日本文化への興味もあってか、入学を希望する学生は継続しているとのこと。

そして気になるのが生徒の成長、つまり市場価値のある人材に育っているかという点について尋ねてみた。この点は2012年のプロジェクト終了時評価報告書でも「これまで日本人専門家を中心に維持・運営されてきた就職支援及び企業コンソーシアムとの関係継続についてが、 最大の懸念事項である。(p.19)」と明記されているように、最も心配していた点である。

この点に関しては、驚くべき成果があがっていた。なんと卒業生の6割が日本を勤務地とする内定を得ているとのこと。日系IT企業の現地採用ではなく、日本での採用となっているのが半分を越えているというのは正直驚いた。その他にも2割が日系IT企業を含むベトナム国内でのIT関連業務、1.5割程度が進学、と非常に高い成果となっていた。私が担当していた2012年頃は、中国・インド人材の人件費高騰もあり、まさに日本のIT企業がベトナムに向き始めた頃で、多くの視察客が訪れてはいたものの、日本勤務での就職を得れるのはほんの一握りであった。当時からITと日本語ができることの付加価値は感じていたが、ここまで高い就職率を得れるとは想像していなかった。

では、なぜこんなにも高い就職率を保てているのか?その大きな理由の一つは、日本語教育の資金などを確保するべくハノイ工科大学が独自に日本の民間企業と連携を始めたことだ。その企業連携の代表格が日本のIT企業であるFramgia社である。Framgia社は民間企業としてハノイ工科大学と連携し、日本語教育に関するマネジメント、実践的なIT教育カリキュラムの導入、そしてジョブフェアの開催による日本企業への学生の就職支援などを行っている。やはり日本語でジョブフェアの宣伝などをできる日系企業の存在は大きく、ベトナム側だけではいくら頑張っても6割を日本で就職させることは困難であろう。この連携のビジネスモデルとしては、卒業生の就職仲介の際に一定の料金を日本企業から取ることで、日本語教師雇用などの資金源にしているとのこと。

私は経済開発の理想はODA(政府援助)より民間事業による牽引と思っているので、ODA事業として下地を作り、それを民間企業が引き継いでビジネスとして継続・発展していくという形がありうるということを知れたことは、非常に有益であった。もちろん予算面ではODAに比べて潤沢ではないため、日本語教師確保等で課題は多いようであるし、ODA事業の民間企業へのあるべき引き継ぎ方についても議論があるだろうが、このようなODAと民間事業の連携のあり方について、今後もウォッチしていきたい。

さて、ここまでが事業としての話であったが、人材として卒業生がどうなっているのかも少し追ってみた。訪れたのはHBlab社という、この学部の卒業生5人が集まって立ち上げたというスタートアップ企業である。立ち上げて1年程度の新しい会社で、主に日本企業からゲームやアプリの開発を受注しているとのこと。社長はこのプロジェクトで日本に留学した学生であり、日本語も堪能。このようにプロジェクトで育てた人材が、日本で最近起きているIT人材不足を補い、ベトナムの発展と日本のIT業界の両方に貢献しているということは、非常に素晴らしい形であると感じる。このHBlab社をはじめ、プロジェクトの卒業生が立ち上げたスタートアップ企業は6社程度に上るとのこと。ぜひ今後も日本とベトナムの架け橋として頑張って欲しい。

なお、今回の訪問は私的なものであり、見解含めて全て筆者の個人的な考えです。JICAの組織としての見解ではないことは改めて申し添えます。

先進国の学校教育におけるデジタルデバイドの深刻さ

みなさんデジタルデバイド(Digital Divide)という言葉を聞いてどのようなイメージを持つだろうか?デジタルデバイドとは情報・ITに関する「持つ者と持たざる者の」格差のことである。

代表的な例としては、先進国と途上国の情報・IT格差が挙げられる。例えば、日本(先進国)ではインターネットもスマホも普及して、多くの人が最新のIT技術を活用できる状況にある。その一方で、発展途上国では未だにインターネットの整備されていない地区も多く、仮に整備されていたとしても回線が遅くてe-Learningなどを活用することが難しい。こういったと格差のことでをデジタルデバイドと呼んでいる。しかし、デジタルデバイドは国と国の間の差とは限らない。同じ国内でも都市部と地方部、富裕層と貧困層の間でデジタルデバイドは存在している。

今回はその中でも、アメリカ国内の学校教育におけるデジタルデバイドについてのNY Times (2016/2/22)の記事を紹介したい。アメリカの初等教育においてインターネットを繋げない家庭がどれだけ苦労をしているかという記事である。タイトルは「Bridging a Digital Divide That Leaves Schoolchildren Behind(生徒を置き去りにするデジタルデバイドの架け橋)」(当blogの写真も記事から引用)。

——記事要約———-

午後7時。イザベラとトニーという兄弟が小学校の門の前に立っている。学校のFree Wifiを拾って教材をスマホにダウンロードするためだ。彼らの家は貧しくインターネットが来ていない。週によっては宿題を終わらせるために数時間、学校の前に立っていることがある。

アメリカでは多くの教育者がインターネットを教育リソースとして活用し始めている。しかし、それによって500万人のネット接続のない生徒たちが様々な苦労を強いられている。

ある地区では、子供たちが学校が終わった後も数時間をスクールバスの中で過ごす。政府や自治体の支援によって無料Wifi搭載のスクースバスが運行しているからだ。ネット時間を確保するために、わざと遠回りルートのバスで帰らざるをえない生徒もいる。まさに移動図書館ならず移動ネットカフェとしてネットのない生徒たちの宿題サポートをこういった形でも行っている。

「若い世代にとってインターネットは空気のようなもの」「学校にとって必要であると同時に子供の未来のためにも必要なもの」とNPOは声をあげ、政府に支援を求めている。政府も予算措置をしてライフライン・プログラムと呼ばれる貧困地区に電話やブロードバンドを届けるというサービスも行っている。このプログラムでは電話・携帯・ブロードバンドが支援対象となっているが、制度の悪用も指摘されており、批判も多い。

そのような問題とは裏腹に、学校教育におけるインターネットの活用は増え続けている。オンラインやe-mailiでの宿題提出、他の生徒とのオンラインでの情報・意見交換など。結局、生徒たちはインターネットを求めるというためだけにレストランやカフェに行き、Free Wifiを探すことも多くなる。ネット接続のある友人宅でネットを借りることもある。ある生徒は、現状について以下のように述べている。「ネットを探し続けることは本当にストレスフルであり、友人関係にも影響がでる。とはいって、ネットがないことを理由に宿題を終わらせないことで、先生から言い訳をしていると思われるのも嫌だ」。

——-要約終わり———-

この記事を読んで私は、先進国のデジタルデバイドは途上国のそれよりはるかに深刻であるという印象を持った。そして生徒たちの気持ちを考えると、いたたまれない気持ちになった。特に教育では、優れたサポート・コンテンツがオンラインで提供されていることは多くあり、先生も保護者もそのコンテンツの有効活用を教育効果の観点からも望んでいる。そして、いまやアメリカや日本などの先進国ではオンラインコンテンツを活用できる環境にあることが当たり前であり、家にネットがない、端末(PC、スマホ)がないケースはあまり想定せずに済む状況になっている。そこが一番深刻であり、アメリカの一部の貧困層はそのため(ネット環境が当たり前なため)に多大な苦労を強いられている。途上国の場合はネットがあると有利ではあるが、インターネット環境がないことが前提でカリキュラムも組まれているため、ネットがなくても教育上苦労を強いられることはない。この差は果てしなく大きい。

途上国のように、ネットユーザが少数派の中で、インターネットを持つ者が得られる恩恵は確かに大きい。だが、先進国のように、ネットユーザが大多数の中で、インターネットに接続できない人が被る損失(教育機会・プライド)の方がはるかに大きいのかもしれない。