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エチオピアのOLPC調査結果

One Laptop Per Child NewsにエチオピアでOLPCに携わってきたThomas氏が、その印象について投稿していました。

内容はそんなに詳しくは書いていないのですが、面白かったのが、「エチオピアに来たこともない人や3週間しか滞在してない人達が、100MBのWi-Fi環境の自宅から、エチオピアのOLPCの現状についての評論投稿をしているのは、ちゃんちゃらおかしい」というようなことを訴えている点。どうもThoms氏は2006年からエチオピアに滞在している方らしい。自分も、首都アジスアベバでも計画停電があるエチオピアでのネット環境等は想像がつくので、この皮肉っぽい物言いが、すごくおかしく感じた。

本題の調査については、オランダの大学「Universigy of Groningen」が2年間の現地調査をやっているとのこと。最初の4ヶ月の調査結果から、Thomas氏が以下5点を指摘してます。

1. 児童はOLPCを学習道具としてみている
2. 児童の学習時間がOLPCによって増加した(主に自宅での学習時間)
3. OLPCによって児童の論理的思考や空間把握能力が劇的に向上した
4. OLPCは児童が学校へ行くモチベーション強化に貢献した(特に田舎)
5. 4ヵ月後の学習能力は次のように向上している
OLPCを使用しているすべての学校の平均では3%の向上
特に大規模にOLPCを活用している学校では13%の向上

こんな調査をやっている大学があるとは、すごく羨ましい。でも、自分は参加出来ないので、時間があればOLPCのWikiで何か書き込んでみようかと思ってます。

エチオピアのOLPC

OLPCについてのブログを見ていたら、OLPC Newsというブログにオイラの故郷エチオピアの話が。

OLPCのアイデアの基には、構成主義(Constructionism=子供たちが何かを為し作ることを通して学ぶという教育の哲学)というのがある。つまり、OLPCを各生徒に一台づつ渡して、あーでもない、こーでもないと好きにいじくることで、色々な情報に触れて学べるってこと。確かにそんな学習方法は楽しそうである。

一方、エチオピアの教育現場では先生は絶対の存在で、生徒は先生に従うべきというのが通常のスタイル。自分で好き勝手なことをするなどもってのほか。確かに、自分がエチオピアの高校で先生をやっていたときにも、先生の威厳が日本の学校よりも数倍あるなぁと感じたものです。今回、OLPC Newsでは、エチオピアの学校教室におけるOLPCについての報告書から、以下の指摘をしている。

「上下関係が厳しいエチオピアの教育現場では、生徒はOPLCで自ら進んで色々なことをやってみようとしない。それは、興味がないのではなく、先生が指示したこと以外のことをするのは良くないことという意識があるからだ。」

なるほど。確かに自分がエチオピアでIT教師をやっているときも、先生の指示通りの操作をすることが絶対で、好き勝手生徒にPCを触らせるなんてことはなかった。ちなみに、OPLC Newsのブログには、先生が生徒の前でOLPCの操作方法を説明してる写真が。トップダウンな教育方法ですな。構成主義とは違うなぁ。

それでも、OLPCを使用し出したことで、先生達は授業でグループワークをやりだしたそうな。そして、それはこれまでのエチオピアの指導方法を改善させることにつながっているという、こんなポジティブインパクトもある。

改めて思うのは、やはりITはツールであり、それを活用することを通じて、より重要なことの本質が見えたり改善されたりする点に単にオートメーション以上の価値があるのだろう。エチオピアの教育レベルを上げるのにOLPCがどう役立つのか?はまだよくわからないけれど、OLPCをきっかけにして教室での指導方法に新しいグループワークという選択肢が加わったことは大きな改善だと思う。

参加型開発とICT4Dプロジェクト(その2)

前回の「参加型開発とICT4Dプロジェクト(その1)」の続きです。

2008年夏、2003年から2005年まで青年海外協力隊として活動していたエチオピアの田舎の高校へ訪れた。
修士論文でエチオピアの遠隔教育プロジェクトを事例に選んだので、その情報集めが目的。

エチオピアの遠隔教育は、各教室に大型の液晶TVを設置して、
首都アジスアベバから放送する授業を見せるというもの。
実験道具や教材がない学校でも、実験や地図などの教材を盛り込んだ授業が受けられるメリットがあるし、
教え方が悪い教師しかいないような学校でも、質の高い授業が受けられるという利点もある。

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とはいえ良い事ばかりでもなく、流される授業は全部英語(しかもネイティブ)なので、英語が苦手な生徒は聞き取りに苦労したり、
途中で疑問が浮かんでも質問出来なかったり、課題を解くための時間が短かったり、停電したりといった問題も。
また、授業が早く進むので、停電したときに同じ分量の授業を、現場の先生が代わりにやろうにも全部網羅出来ないということも。

さて、自分が何人かの生徒にこの遠隔教育について、賛成・反対等の意見を聞いてみたところ、面白い回答が。
ある程度良い学校へいっている生徒は、
「うちらは停電も少なし、英語もある程度理解出来るから良いけど、田舎の生徒は大変だろうな。田舎は先生ですら英語をちゃんと理解出来ないこともあるし、停電も多いし。それに、遠隔教育用のテキストも本屋で売ってない可能性が高いので、復習も難しいよ。」
と、結構ちゃんとした英語で答えてくれた。

そこで、かなり田舎の学校へ行く生徒にも同様に聞いてみたら、
「いやー、遠隔教育は画期的で凄いと思う。授業の質は間違いなく上がっている。」と、以外にもほぼ100%肯定的な意見。
しかし、この生徒は英語で質問に答えることが出来ず、アムハラ語(エチオピアの言語)での回答。

この回答を比較してみると、Low Self-Efficacyの問題がある可能性が考えられる。
つまり、前者の生徒は、ある程度ICTに関する免疫というか慣れがあり、「最先端技術であっても不便なものは不便」と言える自信があり、一方、後者の場合は、田舎育ちで高級な電化製品に触れる機会も少ないため、「最先端技術=スゴイこと」といった盲信や、「英語が出来ないのは自分のせいだし・・・」といったLow Self-Efficacyゆえに、遠隔教育の欠点を指摘するには至らなかったのではないか、と考えることが出来る。

勿論、田舎の教師の質が驚くほど低く、理解が困難でも豊富な映像のあるTV授業のほうがわかり易いといった理由や、自分の想像よりも実は生徒は英語を聞く分には理解しているとか、他にも考えられる理由はあるだろう。
しかしながら、自分と英語での会話が出来ない生徒が、ネイティブが話す英語を理解出来るとは思えないし、いくらなんでも現地語で教えてくれる先生が、すごいスピードで英語を話すTV画面上の講師に劣るとは考えずらい。

このように、自分の修士論文作成のための情報集めは予想外な結果になった。というのも、自分は生徒からいわゆる「本音」(=遠隔教育には欠点がある)を聞こうとしていたのに、以外にも田舎の生徒からは肯定的な意見しか聞けなかったのだ。
これと同様なことが、参加を求めるICT4Dプロジェクトでも起こると考えると、本当に使い勝手の悪さや欠点を指摘出来るユーザー(=被益者=弱者)がいるのかどうか・・・。本当に参加型手法がICt4Dプロジェクトを成功に導けるのかは、議論の余地がありそうである。